私は10年ほど実家に戻り、

両親の介護生活を続けてきました。

 

父を見送った翌年に母を見送りましたが、母が亡くなる一ヵ月ほど前に”母とはもうすぐお別れなのだ”と、感じとる出来事がありました。

 

私には霊感なんてものは無いと思いますが、その出来事があってから、心の中で密かに母を見送る覚悟をすることが出来たという、ちょっと不思議体験の話です。

亡くなる2年前:弄便

母は幾度となく入退院を繰り返していましたが、亡くなる2年ほど前には病院で初めての”弄便”騒ぎを起こしました。

 

弄便(ろうべん)とは、

認知症の高齢者が漏らしてしまった便を手でつかんでいじくりまわしてしまう行為です。

 

いつものように病院へ行き、

見た事の無いつなぎのような寝間着を着ている母を見て不思議に思っていると、看護師さんから母が弄便行為をしたと言う話を聞きました。

 

布団はもちろん、壁、衣類、身体じゅう、爪の中まで便が入り込んでしまって、お風呂で綺麗に洗ってつなぎを着せたと言う事でした。

 

つなぎを着せた理由は、

自分でズボンに手を入れて弄便行為をしないための対策です。

 

首元から足先まで続いているファスナーには鍵が付いているので、決して自分で脱いだり手を入れる事は出来ません。

申し訳なくて謝り倒しましたが、看護師さんからは「良くある事なので大丈夫ですよ」との言葉に一安心。

 

便を便と認識できずにいじってしまって、口に入れてしまう人もいるようですが、母は漏らしてしまったことを隠そうとしたのだと感じました。

 

言い訳のように看護師さんに伝えると、たぶんそうでしょうと。

祖母の弄便介護をしていた母

母は長い事、義祖母の介護をしてきましたが、やはり弄便行為が頻繁にあり、その後始末にいつも大変な思いをしていました。

 

義祖母も迷惑をかけたくなくて隠そうとしていたようで、そんな母が同じ状況になった事が切なくて胸が詰まった記憶があります。

つなぎで弄便問題は解決

それ以降はつなぎのおかげで一度も弄便行為はありませんでしたが、その時に看護師さんから言われた言葉は今でもはっきり記憶に残っています。

 

「どんな人も弄便行為があってから大体2年くらいって話ですよ、頑張ってね。」

と声をかけられたんです。

 

意味がわからずに聞いてみると、そっくりそのままの意味で弄便行為をした高齢者は、2年ほどで亡くなることが多いのだということでした。

 

そんなこと全く信じてはいませんでしたが、偶然なのか、ほぼ2年後に母は亡くなりました。

 

そんな事って思いながらも、その”2年”という数字はいつも頭の片隅にあった気がするので、これが一度目の兆候と言えば言えるかもしれません。

 

これは母が入院していた病院の看護師さんから聞いた話なので、本当かどうかもわからないし、たまたま2年後だっただけかもしれません。

亡くなる1ヶ月前:顔色

母が亡くなる1ヵ月前ほど前のこと。

 

その日はヘルパーさんもデイケアもなく、ベッドに横たわる母と話をしながら、いつになく穏やかに過ごしていました。

 

慢性呼吸不全の母は、

酸素ボンベが必要で鼻には酸素を吸うためのチューブがついています。

 

もともと、肺が悪かったために顔色は良くはありませんが、くすんだ青黄色っぽい感じの顔色です。

 

ところがその時、

ふと見た母の顔全体が突然緑色になっていたのです。

母の顔が緑色!?

それは死者の顔というか、明らかにこの世の人の顔色ではありませんでした。

 

驚きのあまり、母の顔を見つめたまま動く事も出来ませんでした。

それはたぶん10秒くらいだったのか。。。

あるいはもっと長かったのか短かったのかは覚えていませんが、

 

「母とはもうすぐお別れなんだ」って胸の中にストンと入った気がしました。

 

それと同時に

「苦しかったもんね、良いよ、それで。」

って心の中で返していました。

 

それからまたいつもと同じ青黄色い顔色に戻ってましたが、

 

後々、姉たちに言うと、

「疲れてると錯覚起こすこともあるからね」って、あまり信じてももらえませんでした。

 

数日間はその事が気になったりしましたが、それから一週間ほどはいつもの忙しい毎日に戻ってしまいすっかり忘れてました。

 

でも、その後、訪問リハビリをきっかけに腰痛を悪化させてしまい、どんどん具合が悪くなり、入院。

 

そのまま病院で亡くなるという急展開になりました。

亡くなる1日前:引き返す

亡くなる前日は姉妹3人で病院へ行き母を見舞い、その後3人で食事をして帰る予定でした。

 

母の体調も悪くなく、

「調子よかったね」なんて話をしながら食事をした後バス停でバスを待っている時、

結構疲れてましたが、何故か急に母が気になった私。

バス停から病院までは結構距離があったものの、病院へ戻ってみるとちょうど食事時間。

 

母のベッドは食事のために起こされて、持たれるように何とか座っている母。

先ほどとはうって変わって呼吸も荒く汗びっしょりで辛そうでしたが、着替えさせたりして少し落ち着きました。

 

看護師さんに伝え、血圧や脈拍もとってもらい、大丈夫だと思いながらも母が心配で。

本当はもう少し残っていたかったのですが、かなり疲れていた事もあって病院を後にしました。

 

「明日また来るからね、待っててね。」

「うん、待ってるね。」

 

これが母との最後の会話になりましたが、いつもなら帰るという私を強く引き留める母。

その時はすんなりと帰してくれました。

 

今になって思うと、虫の知らせを感じて病院に戻ったんだと思えます。

亡くなる時間:枕元

母はいつも病院で不安になると、夜中でも何でも私の名前や父の事を呼ぶので、同部屋の方に迷惑がられてました。

(父はすでに他界してました。)

 

亡くなった日の夜も、

午前3:00頃までしきりに私の名前を呼び続けていたそうです。

枕元のワゴンがカタカタ

私は疲れていたけど何故か眠れず、3時近くになってやっとウトウトし始めたのですが、

 

枕元で母に使っていた痰の吸引器が置いてあるワゴンを、カタカタといじっているような音が聞こえてきました。

 

明らかに誰かがいるようなはっきりした音。。。。

メチャメチャ怖がりな私はびっくりして飛び起きて、明かりをつけてテレビをつけてしまいました。

 

あれだけ母を心配していたにもかかわらず、母に何かあったなどとは微塵も思わずに。

アホだな~と思います。

 

それからテレビをつけたまま眠ってしまい、朝方6時頃に病院からの電話。

 

慌てて姉たちに連絡をとってかけつけたのですが、看護師さんが朝見回った時にはすでに亡くなっていたそうです。

 

午前3時までは私の名前を呼んでいたと言うので、その後亡くなったのだと思います。

 

きっと、母は亡くなる時に魂となって私のもとへお別れに来てくれたのかな?なんて思ったりしますが、

 

せっかく来てくれたのに、怖がってしまって母をがっかりさせたかもしれません。

あるいは母も自分に起きた異常事態にパニックになって、魂が抜け出して私に助けを求めて飛んできたのかも。

 

これらすべての事が偶然と言えば偶然だろうし、勘違いと言えば勘違いかもしれないし、

そう思いたいだけだと言えばそうかもしれません。

 

でも、3人姉妹の中で特に私は母親っこだったので、亡くなる一ヵ月前に「心の準備は大丈夫?お別れだよ」って教えてくれたのではないかと思ってます。